不動産投資で人生が熱くなる!/ 火の玉ガールのブログ

「不動産投資で人生が熱くなる!」 夢はどこに?それはあなたの心の中に。 未来はどこに?それはあなたの手の中に。

August 2016

内定を蹴り、卒業式も出ずに、それまでまったく習ったことのない
中国語の習得を目指して、単身中国に初入国。


持参したのは復路フリーの格安往復航空チケットと、
2週間分の学費と生活費、それに旅費だけでした。

 

最初のクラス分けのとき、

「クラスは上級・中級・初級のどれを希望しますか?」

と聞かれ(※クラス分けテストなどはなく、完全に自己申告のみ)、
短期習得したかったので、見栄をはって初級ではなく、
スピードのはやそうな中級クラスに申し込みました。

それからの2週間、毎日12時間以上勉強して必死に付いていこうと
がんばりましたが、やはり世の中そんなに甘くはありません。

たった2週間では文法はおろか、やっと発音が少しだけ理解できるように
なった程度。とてもこの状態で


「中国語できます」


なんて言えません。

そこで、まず大使館に赴いて2週間のビザを半年(※180日)
に延長してもらい、大学の事務室へ乗り込んで

「2週間の予定でしたが、半年クラスに変更します」

と、生活費と旅費を全て学費につぎ込んで申し込みをしました。



半年で一度帰国してビザを取り直し、次の半年は大連に向かいました。

西安よりは物価が高いのですが、町も綺麗で気候も風土もよく、
西安よりも多かった留学生たちと仲良くなり、

「材料を提供してくれたら料理をつくります」


と、「カネがないならウデを売る」方式毎晩の夕食にありついていました。


ここでは麻雀にはまってしまい、
授業の終わったあと、ほとんど毎日麻雀三昧。
現地の中国の方ともやっていたので、
そこで覚えた中国語もかなりたくさんあるのですが、
さすがにちょっとやりすぎましたね。。


これがのちの私の人生を大きく左右する第二外国語になるとは、
当時はまったく思ってもいませんでした。

 

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今でこそバリバリ中国語を使う仕事についてますが、
大学を卒業するまで中国語は一言もしゃべれませんでした。
第二外国語もまったく違う言語で、何を専攻していたのかも覚えていません。

徳島県で生まれ育った私は、いなか特有の

「自分の素性・行動を隣近所、親類みんなが知っている」

状態がいやでいやでたまらず、中学生くらいの頃から四国を出たくてたまりませんでした。


結局、心の広い両親のおかげで関西方面の私立大学へ進学させてもらったのですが、
それなりに学費も高く、一人暮らしをするわけですから、下宿代
(鉄筋コンクリートのワンルームでした。
これがのちに自分の命を救ってくれることになるとは、
このときは夢にも思いませんでした)

や生活費など、実家から地元の公立大学に通う場合と比較して
数倍のコストがかかります。両親は、私の魂胆にうすうす気が付いていたと思うのですが、
快く送り出してくれたことに、今では感謝してもしきれません。


その後、運命の1995年1月17日。
今まで経験したことのないような大きな揺れに
たたき起こされました。あの、『阪神淡路大震災』です。

この震災により、大きくひび割れた道路、まっぷたつに寸断された高速道路、
潰れた木造アパート、がれきの山を目の当たりにし、
テレビで燃える神戸の街を見ました。
私の居住地区はそれほど大きな被害は出なかったとはいえ、
RC造のマンションだったことで倒壊の心配は免れ、
両親もしきりに「鉄筋コンクリートでよかった!」と言っていました。

この経験により、

「人生、いつどこでどんなことが起きるか分からない。
何かあったときに役に立つのは学力どうこうよりも
サバイバル能力だ。どんな環境でも生き延びるすべを
身につけなくては」

と考えるようになりました。

就職活動中、自分になんの武器も特技もないことが不安になってきて、

「せめて日本語以外の語学をできるようになろう。
今さら英語やっても大したレベルにはならなさそうだし、
ここは人口の一番多い中国語にしよう。
留学費用も欧米より安そうだし!」

という短絡的な思考回路により、大学の卒業式目前に突如決意。

貯金をかき集めて留学関連本を読み漁り、
留学先は学費が安くて日本人留学生が少なそうな内陸地の西安に決定。

両親には

「ちょっと中国行ってくる!」

と言い残して、バックパック1つで格安飛行機に飛び乗ったのです。

 

 

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私は旅行会社に勤務しております。


こう言うと

「じゃあ、今度海外旅行行くとき飛行機の手配お願いするわ~」


とか、よく言われるのですけれど、そっち(日本人が外国へ行く)の旅行手配ではなく、
海外から日本へ来るお客様の、日本国内旅行手配(いわゆるインバウンド)を行っています。

私の担当は中国です。



まだ誰も「インバウンド」などという言葉を聞いたことがない、
2002年1月からこの仕事に従事しており、もうかれこれ16年にもなります。

インバウンドが何たるかも知らず、ただ単に旅行好き、というだけでこの仕事を選んだ私は、
就職したての頃、中国人の対応に四苦八苦で、ほぼ毎日辞めることばかりを考えていました。
 
だんだんこの仕事のおもしろさに目覚め始めたのは、顧客が付いて、
決裁権限が与えられたころからです。
中国のお客様の特徴は、「家族、親類、友だちに親切」です。逆を返せば、友だちにならなければいい付き合いはできない、ということです

 

たしかに大変な仕事ではありますが、言葉ができ、営業が得意で中国人的慣習を理解している人なら、慣れれば笑いの絶えないおもしろい職種で、私はこの仕事が大好きです。

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地球の裏側で熱戦続くオリンピック。


スポーツ観戦大好き女子であるワタクシは、
先週一週間はお盆休みでほぼ一日中テレビ&ネットの前から動きませんでした。

今週は、日中は本業のため何もできないので、
帰宅して即寝て、朝は3~4時起きで観戦、
通勤移動電車内もネット同時配信のライブ映像を見て、
何度電車を乗り過ごしたことか。。

今回メダルラッシュが続く日本選手団の中でも、
ひときわ期待されていた、我らが主将、

「霊長類最強女子」

「史上最強乙女」


である、吉田女史が敗れました。


「私はこんなに吉田沙保里が好きだったのか?」

と思うくらいに、試合とインタビューのライブで泣き、
ハイライトを見直しては泣き、
ニュースやコラムを見ては泣き・・・

で、早朝から涙の乾くヒマなし。

まったく忙しい朝でした。


それでも、ご自身の銀、
48kg級、58kg級、69kg級の3階級制覇、
合計4個の女子レスリングメダル獲得、
次世代を着実に育て、競技種目の知名度向上に
多大な貢献をされたその功績、素晴らしい以外に言葉がないです。


まだしばらく幸せな寝不足の日々が続きそうです。


オリンピック、最高!





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