今でこそバリバリ中国語を使う仕事についてますが、
大学を卒業するまで中国語は一言もしゃべれませんでした。
第二外国語もまったく違う言語で、何を専攻していたのかも覚えていません。

徳島県で生まれ育った私は、いなか特有の

「自分の素性・行動を隣近所、親類みんなが知っている」

状態がいやでいやでたまらず、中学生くらいの頃から四国を出たくてたまりませんでした。


結局、心の広い両親のおかげで関西方面の私立大学へ進学させてもらったのですが、
それなりに学費も高く、一人暮らしをするわけですから、下宿代
(鉄筋コンクリートのワンルームでした。
これがのちに自分の命を救ってくれることになるとは、
このときは夢にも思いませんでした)

や生活費など、実家から地元の公立大学に通う場合と比較して
数倍のコストがかかります。両親は、私の魂胆にうすうす気が付いていたと思うのですが、
快く送り出してくれたことに、今では感謝してもしきれません。


その後、運命の1995年1月17日。
今まで経験したことのないような大きな揺れに
たたき起こされました。あの、『阪神淡路大震災』です。

この震災により、大きくひび割れた道路、まっぷたつに寸断された高速道路、
潰れた木造アパート、がれきの山を目の当たりにし、
テレビで燃える神戸の街を見ました。
私の居住地区はそれほど大きな被害は出なかったとはいえ、
RC造のマンションだったことで倒壊の心配は免れ、
両親もしきりに「鉄筋コンクリートでよかった!」と言っていました。

この経験により、

「人生、いつどこでどんなことが起きるか分からない。
何かあったときに役に立つのは学力どうこうよりも
サバイバル能力だ。どんな環境でも生き延びるすべを
身につけなくては」

と考えるようになりました。

就職活動中、自分になんの武器も特技もないことが不安になってきて、

「せめて日本語以外の語学をできるようになろう。
今さら英語やっても大したレベルにはならなさそうだし、
ここは人口の一番多い中国語にしよう。
留学費用も欧米より安そうだし!」

という短絡的な思考回路により、大学の卒業式目前に突如決意。

貯金をかき集めて留学関連本を読み漁り、
留学先は学費が安くて日本人留学生が少なそうな内陸地の西安に決定。

両親には

「ちょっと中国行ってくる!」

と言い残して、バックパック1つで格安飛行機に飛び乗ったのです。