不動産投資で人生が熱くなる!/ 火の玉ガールのブログ

「不動産投資で人生が熱くなる!」 夢はどこに?それはあなたの心の中に。 未来はどこに?それはあなたの手の中に。

タグ:仕事


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11/1発売の私の初著書が、
なんと昨夜からもう発売されている書店があります!

いち早く内容が気になる方は、

ぜひ、お立ち寄りくださいね。
 

先行販売 『TSUTAYA 東京ミッドタウン店』 

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それでは、
本日は『仕事編』エピソードを抜粋してご紹介します。


毎日ノー残業を可能にするにはスキルはもちろんですが、
考え方も重要ではないかと思います。

私が本業の「インバウンド旅行業」で心がけているのは以下の7つです。
 
 

①業務量ではなく定時ありき。終わらない、
 ではなく必ず終わらせるよう、
 しかし目標数値は落とさずに業務をスリム化・効率化する。

②定時10分前にはその日の仕事をまとめて手じまいの準備。


③定時にアラームを鳴らし、鳴ったら即離席
(私のいる部署では、私のアラームが鳴ったら
 皆が「あ、18時」と我に返ります)


④毎日定時に帰ることで、顧客・取引先も含めた周囲の人全員に
「あの人は定時で帰るから早めに依頼しよう」と認識してもらう。

正確な仕事をして、トラブル・クレームを減らす。


⑥自分の不在時に他の社員に対応してもらいやすくするため、
 常に自分のデスクやパソコンを整理し、進行中・手配中・見積中の
 ツアーはすべてファイルごとに分けて共有フォルダに入れておき、
 何がどこにあるかを社員全員で共有しておく。


⑦ツアーのキーマンであるガイドとコミュニケーションを取って良好な関係を築く。



私の場合、顧客が中国、ということで1時間の時差があります。
そのため、朝は日本時間10時半ころまで現地は誰もいませんので、
お客様の出社前1時間半が勝負です。



前日、私の退勤後から出社前までに仕事で使うチャットに
伝言された分の仕事は、翌朝お客様の出社前にすべて処理して返しておけば、
またあたらしくその日の仕事から両社同時にスタートすることができます。


休日や夜中のクレーム対応もしなければならないのですが、
日々の業務を正確にこなし、少しでも不安要素があるものは
事前に説明しておくことで、トラブルそのものを減らすことも大事です。

予期できない原因での突発的なトラブルは回避が難しい場合もありますが、
中国の団体ツアーにはすべてガイドが同行しておりますので、
ガイドをよく教育することで、そのガイドが解決してくれます。

良好なコミュニケーションは不動産賃貸業でも大いに役立ちます。
当たり前のことばかりですが、

「当たり前を習慣化」

が大事なのです。
 

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中国での麻雀生活に別れを告げ、24歳で帰国した私は

就職活動を始めます。頭の中はすっかり

 

「中国語が使えてサバイバル能力の高まる仕事」

 

一色ですから、もはや普通の事務職・営業職等には目もくれません。

普通にサラリーマンを目指せばいいものを、

世間知らずの、今でいう

 

「ちょっと勘違いの入った意識高い系」

 

だったため、

 

「好きなことを仕事にしよう!」

 

と意気込んで、旅行関係の仕事一本に絞って探していました。

そして、結局
 

 「いろんな国に行けるし、おもしろそう!」


というだけの理由で添乗員(いわゆる、ツアーコンダクター)

になるべく、派遣会社に登録するのです。

どんな安月給&長時間労働が待っているかも知らずに・・・。
 

そうこうしているうちに、またもや運命の2001年9月11日がやってきます。

米国発世界同時多発テロの勃発です。 

旅行は平和産業なので、テロのような緊急事態が起こると

誰も旅行になど行かなくなります。

せっかく低賃金でも快適に暮らせる基盤ができたと思ったのに、

仕事ゼロではさすがに食べていけません。

 

あれこれ悩むより前に、スーツケース一個で新幹線片道一万円の

“ぷらっとこだま”に飛び乗って上京しました。

 

日本は物価も高く、中国留学時代みたいに勉強と料理してりゃいい

ってもんじゃありませんので、即就職活動開始。 

中国語を使う旅行会社の求人はけっこうたくさんあり、

 

「中国語、ペラペラです!」

 

的アピールポイントを書いていた私は、まんまと入社にこぎつけます。 

入ってから、実は
 

ペラペラどころか「ペ」レベル


だったことがバレましたが、もう猫の手も借りたいくらいの忙しさだったため、
 

「ペ」であろうと未経験者だろうと使うしかない


という感じでクビになることもなく、毎日残業の嵐ですぐに30万円程度の月給に到達しました。
 

「毎日会社の机に座っているだけで30万円ももらえるなんて、サラリーマンて素晴らしい職業じゃないか!」


と、すっかり考えを改めました。(いや、違うって)
 

サラリーマンという立場では、一部の歩合給100%を除いて、

だいたい成果よりも働いた時間で基本給が決まっているので、

自分のやるべきことをきちんとこなしていさえすれば、

たとえ業績が上がらなくてもちゃんとお給料を支払ってもらえるのです。 

 

経営者並みに稼ぐ兼業サラリーマンは、

ある意味最強なのでは?・・・ 


なんてことはこのときの私は知る由もありません。



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9月17日(土) 15:00~16:30
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※9/9 6:00時点で10名の方にお申込いただいております。
 最大であと10名まで。ご参加お待ちしております。

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内定を蹴り、卒業式も出ずに、それまでまったく習ったことのない
中国語の習得を目指して、単身中国に初入国。


持参したのは復路フリーの格安往復航空チケットと、
2週間分の学費と生活費、それに旅費だけでした。

 

最初のクラス分けのとき、

「クラスは上級・中級・初級のどれを希望しますか?」

と聞かれ(※クラス分けテストなどはなく、完全に自己申告のみ)、
短期習得したかったので、見栄をはって初級ではなく、
スピードのはやそうな中級クラスに申し込みました。

それからの2週間、毎日12時間以上勉強して必死に付いていこうと
がんばりましたが、やはり世の中そんなに甘くはありません。

たった2週間では文法はおろか、やっと発音が少しだけ理解できるように
なった程度。とてもこの状態で


「中国語できます」


なんて言えません。

そこで、まず大使館に赴いて2週間のビザを半年(※180日)
に延長してもらい、大学の事務室へ乗り込んで

「2週間の予定でしたが、半年クラスに変更します」

と、生活費と旅費を全て学費につぎ込んで申し込みをしました。



半年で一度帰国してビザを取り直し、次の半年は大連に向かいました。

西安よりは物価が高いのですが、町も綺麗で気候も風土もよく、
西安よりも多かった留学生たちと仲良くなり、

「材料を提供してくれたら料理をつくります」


と、「カネがないならウデを売る」方式毎晩の夕食にありついていました。


ここでは麻雀にはまってしまい、
授業の終わったあと、ほとんど毎日麻雀三昧。
現地の中国の方ともやっていたので、
そこで覚えた中国語もかなりたくさんあるのですが、
さすがにちょっとやりすぎましたね。。


これがのちの私の人生を大きく左右する第二外国語になるとは、
当時はまったく思ってもいませんでした。

 

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今でこそバリバリ中国語を使う仕事についてますが、
大学を卒業するまで中国語は一言もしゃべれませんでした。
第二外国語もまったく違う言語で、何を専攻していたのかも覚えていません。

徳島県で生まれ育った私は、いなか特有の

「自分の素性・行動を隣近所、親類みんなが知っている」

状態がいやでいやでたまらず、中学生くらいの頃から四国を出たくてたまりませんでした。


結局、心の広い両親のおかげで関西方面の私立大学へ進学させてもらったのですが、
それなりに学費も高く、一人暮らしをするわけですから、下宿代
(鉄筋コンクリートのワンルームでした。
これがのちに自分の命を救ってくれることになるとは、
このときは夢にも思いませんでした)

や生活費など、実家から地元の公立大学に通う場合と比較して
数倍のコストがかかります。両親は、私の魂胆にうすうす気が付いていたと思うのですが、
快く送り出してくれたことに、今では感謝してもしきれません。


その後、運命の1995年1月17日。
今まで経験したことのないような大きな揺れに
たたき起こされました。あの、『阪神淡路大震災』です。

この震災により、大きくひび割れた道路、まっぷたつに寸断された高速道路、
潰れた木造アパート、がれきの山を目の当たりにし、
テレビで燃える神戸の街を見ました。
私の居住地区はそれほど大きな被害は出なかったとはいえ、
RC造のマンションだったことで倒壊の心配は免れ、
両親もしきりに「鉄筋コンクリートでよかった!」と言っていました。

この経験により、

「人生、いつどこでどんなことが起きるか分からない。
何かあったときに役に立つのは学力どうこうよりも
サバイバル能力だ。どんな環境でも生き延びるすべを
身につけなくては」

と考えるようになりました。

就職活動中、自分になんの武器も特技もないことが不安になってきて、

「せめて日本語以外の語学をできるようになろう。
今さら英語やっても大したレベルにはならなさそうだし、
ここは人口の一番多い中国語にしよう。
留学費用も欧米より安そうだし!」

という短絡的な思考回路により、大学の卒業式目前に突如決意。

貯金をかき集めて留学関連本を読み漁り、
留学先は学費が安くて日本人留学生が少なそうな内陸地の西安に決定。

両親には

「ちょっと中国行ってくる!」

と言い残して、バックパック1つで格安飛行機に飛び乗ったのです。

 

 

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私は旅行会社に勤務しております。


こう言うと

「じゃあ、今度海外旅行行くとき飛行機の手配お願いするわ~」


とか、よく言われるのですけれど、そっち(日本人が外国へ行く)の旅行手配ではなく、
海外から日本へ来るお客様の、日本国内旅行手配(いわゆるインバウンド)を行っています。

私の担当は中国です。



まだ誰も「インバウンド」などという言葉を聞いたことがない、
2002年1月からこの仕事に従事しており、もうかれこれ16年にもなります。

インバウンドが何たるかも知らず、ただ単に旅行好き、というだけでこの仕事を選んだ私は、
就職したての頃、中国人の対応に四苦八苦で、ほぼ毎日辞めることばかりを考えていました。
 
だんだんこの仕事のおもしろさに目覚め始めたのは、顧客が付いて、
決裁権限が与えられたころからです。
中国のお客様の特徴は、「家族、親類、友だちに親切」です。逆を返せば、友だちにならなければいい付き合いはできない、ということです

 

たしかに大変な仕事ではありますが、言葉ができ、営業が得意で中国人的慣習を理解している人なら、慣れれば笑いの絶えないおもしろい職種で、私はこの仕事が大好きです。

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